「小林よしのりライジング」では、
これから起こるであろう新型コロナワクチンを
巡る様々な未来の出来事に関連して、
あらかじめ歴史の先例を見ておこうということで、
「岡崎哲夫」という、歴史の中に埋もれた人物に
スポットを当てた「森永ヒ素ミルク事件」を
3回にわたってお送りしました。
すると熱い感想が多く寄せられましたので、
その一部をご紹介します!
岡崎氏の苦闘には意味があったと思います。いや意味がなければなりません。例えその名が人々から忘れ去られようとも、歴史のどこかには記憶が刻まれている。様々な出来事が埋もれてしまったとしても、われわれはそのつど、それを掘り返して学んでいくしかないのでしょう。
個人が信念と覚悟の元に切り開いてきた地平を、後からやってきた“ごろつき”が台無しにする。思えばゴー宣で描かれてきたテーマも同様でした。薬害エイズしかり、慰安婦問題に戦争論しかり。おそらくはコロナ論ですらそうなるかもしれない。本当のことを言った人ほど忘れ去られてしまう。それは欺瞞の渦中にいた世間の人々が、あまりの都合の悪さ故、忘れたいと思うからなのでしょう。今回のコロナ騒動とて、後から振り返ればどいつもこいつもバカでしかないわけですから、同様になる可能性は高い。
ただ、ゴー宣の奮闘の軌跡は書籍として残ります。そこから学ぶ人々が必ず出てくる。それは今の子供たちです。かれらが大きくなったとき、この人類総出の大愚行を総括する日がきっとやってくる。「あの時」戦った人々がいたという事実に、将来の若者たちは勇気づけられるはずです。そして、少しは大人を信じてくれるでしょう。その信頼がニヒリズムを克服する手がかりになります。誰が何を言ったって何の意味もない、そう諦めてしまったら、どんな理不尽もそのまま許される最悪の社会になってしまいます。
今よりも「ちょっとはまし」な世の中を次世代に残す。そのためには、埋もれた記憶の砂を丁寧に払って、過去から引き出された教訓が「常識」として定着するまで、粘り強く継承し続けるしかありません。ただ、その手段が集団に個を埋没させるような「運動」であってはいけない。個の多様性を圧殺するような集団が何を発しようが、より多様かつ複雑な実社会を良い方向へ動かすのは困難です。ではどうすればいいのかという答えはそう簡単に思い浮かびませんが、その実践の一つが「ゴー宣道場」ではないでしょうか。前例が思い浮かばないことだって世の中にはあるわけで、そういうのはいつだって手探りでやるしかない。来年もよろしくお願いします。
(shiroさん)
配信ありがとうございます。
やはり歴史は繰り返すものなのかと暗澹とした気持ちになります。
自分が今回のライジングを読んでふと思い出したのですが
「ウルトラマンダイナ」の19話で主人公アスカ・シンは話の中で「歴史の悲劇は繰り返す」と主張したゲストキャラに対し、歴史を螺旋階段に例えていました。
要約すると
「同じ所を回っている様でも螺旋階段みたいに本当は少しずつ上に進んでいる、俺はそう信じたい」
というものでした。
個人的にはここは名シーンだと思っています。
しかし今思えばこれはあくまでも人間が過去の悲劇から学べる生き物である事を前提とした考えであって、そもそも過去の悲劇から学ばなければ螺旋階段を上るどころか転げ落ちていくだけです。
それともう一つ思い出したのは、昔NHK教育で放送されていたイギリスのSFドラマ「ドクター・フー」で、未来の人類が悪者の策略で90年前のニュースを現在のニュースとして報道され、90年前と同じ歴史を繰り返す様にコントロールされているという内容の回がありました(まぁこれに関しては少々うろ覚えですが)
つまり世代交代等で風化してしまえば人なんて権力側の都合の良いように簡単に騙せるということです。
これを防ぐにはやはり「歴史に学ぶ」しかないと思います。
しかし皮肉にも今の日本人は「歴史に学ぶ」という事を忘れてしまいました。
例えば自称リベラル連中は学ばないから未だに一般層からの支持を得られないし、自称保守連中は学ばないから在日等の社会的弱者を差別してどんどん自らの首を絞めていっています。
日本人は昔から「勤勉」だと言われていましたが、それは裏を返せば勉強ばかりで人間として本当に大切な事を学んでいなかったとも思えます。
(智之丞さん)
年の最後にこんな重い作品ってどうだろう?
と思ったりもしたのですが、
真正面から受け止めて考えてくれる読者が
多かったので、非常に嬉しいです。
人は歴史に学ぶことができるのか?
という重大な問いが最後に残りますが、
その答えも今後、見えてくることでしょう。
来年もライジングをどうぞよろしく!